DIARY現場日記

軍艦島(端島炭鉱)に行ってきました。

2016.10.18カテゴリー: 事務所便り

こんにちわ、矢野です。

 

10月6日より長期お休みを頂いておりました。

久々の出社は何故だかえらく緊張し、
休みボケを通り越し浦島状態でブログを更新しています。

 

休み中は長崎の実家に帰省しておりました。

郷土料理の大村寿司と皿うどんを
たらふく食べてたらふく飲んで、
3度の飯が出てくる度に実家の有難みをしみじみ感じました。

ただ食って飲んで過ごすのもあれなんで、
軍艦島(端島炭鉱)に行ってまいりました。

世界遺産となり、すっかり有名になった軍艦島、
軍事遺産、産業遺産好きな私にとって
軍艦島は聖地と言って過言ではありません。

 

軍艦島へは長崎港からジェット舟に乗ります。
その名もクルーズ船ブラックダイヤモンド号、
オレンジに黒の配色とかイカツイですね~!
(いえ決して悪口ではなくてですね)

 

長崎湾から見た市内の様子。

坂の町長崎。かなりガチです。

女神大橋をくぐったぐらいで、ガイドさんの観光案内の

「右側をご覧ください」の頻度の高さに気づきました。

行きは右側の座席に座った方が良さげです。

左側だとこんな写真しか撮れませんでした。

言い訳ですけどね。

軍艦島に向かう途中、高島という島に立ち寄りました。
ここでは説明聞いたり、岩崎弥太郎の銅像を見たり、軍艦島の模型を見たり。。

 

 

 

高島も炭鉱の島で、三菱財閥創業者である弥太郎さんが買い取ったのだそうです。
この島も軍艦島(端島炭鉱)とともに世界遺産に登録されております。
1986年に閉山され、まだ住んでる人もいるそうな。

けっこう最近まで続いていたのですね、

 

じゃ!!そろそろ軍艦島行こっか!!
(って参加した人の大多数が思ったと思われます)

 

キタ━ヽ(∀゚ )人(゚∀゚)人( ゚∀)人(∀゚ )━!!

ついに軍艦島が見えて参りました!


近づくにつれ、細かなディティールが見えてきてきました。
この朽ちた感じがたまりません!!

もともと島の大きさは現在の1/3しかなかったそうで、

6回もの埋め立てて拡張されていったそうです

 

高密度に建てられているアパート群。

最盛期には5000人以上の人口となり、人口密度は

世界一だったそうです。ミッチミチですね。

いざ上陸!

一際目を引く煉瓦作りのこの部分、総合事務所です。

 

二抗ロ桟橋へと登る階段、ここからエレベーターに乗り

海底深い砕石場へと運ばれたそうです。

緊張と安堵が行き交った階段、

炭鉱マンの落とした石炭のススが今も染みついています。

 

 

この大きな開口部分の奥に浴室があったそうです。

浴槽が三つあり、一つ目の浴槽には服のまま入り汚れを落とし、

三段階で入浴したそうな。

石炭を運んだベルトコンベアの支柱。

このほっそい路地の奥は市場やマーケットで賑わい

端島銀座と呼ばれていたそうです。

最初は、ミーハー気分で上陸したのですが、

ガイドさんの案内を聞くにつれ

危険と隣り合わせの炭鉱の仕事の大変さを知り

神妙な面持ちとなりました。

 

帰りの乗船間際に見えた立ち入り禁止のこの通路

当時は住居群への直通地下通路として使われていたそうな

通ってみたかった!

 

軍艦島の上陸出来るエリアは全体の一割程度ですが、

十分満喫できるツアーでした。

 

必ずまた来ます!!

最後までお読みくださりありがとうございました。