DIARY現場日記

今井町ツアーが開催されました。

2020.01.27カテゴリー: イベントレポート

こんにちわ、矢野です。

 

先日、橿原市今井町ミニ散策ツアー

「歴史の街・今井町ぶらり」が開催されました。

本日はその様子をお送り致します。

 

伝統ある街並み散策と、以前民家で施工させて頂いた

コーヒー豆専門店富田屋さん見学からなるこの企画、

今回で二回目となります。

待ち合わせの駅からはボランティアガイドさんが

引率して下さり、説明が懇切丁寧で分かりやすい!

こちら花甍(はないらか)は、

明治36年に建設、教育施設→役場→資料館としての

役目を果たしてまいりました的なご説明を受けました。

今井町の歴史をざっくり説明致しますと、1532年くらいに

一向宗の門徒がこの地に街をつくりやがて繁栄しました。

一向一揆で有名なあの一向宗です。

天下統一モード入ってた織田信長に攻撃されるも必死で抵抗し、

1575年に明智光秀を通じて赦免をもらい

自治権を得てさらに繁栄したそうです。

 

ちなみに本能寺の変は1582年、

明智氏もいろいろ心情の変化があったんですね。

以前門があった道路上にはその目印が。

9か所あった門は夜はすべて閉められたそうな。

門限過ぎて焦った人は少なからずいたことでしょう。

お昼は和彩まゆうさんで美味しいランチを頂き、

午後からは今西家の見学へ、

今西家はいわば今井町の筆頭で、この町の自治を守り

裁判もされたそうです。

で、こちらの梯子がかかった2階部屋は、

なかなか白状しない容疑者を入れて、

下から煙で燻したそうです。内部は真ん中で仕切られ

左が男部屋、右が女部屋になってる仕様です。

前回行った時から疑問に思っていたのですが

燻し小屋は男部屋の直下にしかないのに

女部屋はどうやって燻したのか。

今回その疑問をぶつけてみました。

その答えは、間仕切りは天井までいってなくて

煙は男部屋を介してだったとか。

想像だとこんな感じ?

今井町は女性には甘かったようです。

しかしこの拷問はかなりキツく、すぐに白状したそうです。

でしょうね、燻製になりかねませんもの。

DNA鑑定も弁護士もいないこの時代。疑われたら最後です。

おかげで結構な冤罪もあったとかなかったとか・・。

 

そして最後は富田屋さんへ、

美味しいコーヒーとお団子、

優しいご主人さまのご説明と暖かいおもてなしで、

冷えた体がほっこりしました。

施工当時、条例で既存の構造材を極力再利用する必要があり

大工さんにはかなり苦労があったようですが

今回アンケートで既存の梁と新しい柱が調和していて

とても素敵でした。とお答え頂きました。

大工さん良かったですね!

 

富田屋さん、今回もお世話になり本当にありがとうございました!!

ご参加頂きました皆様、本当にありがとうございました!!

 

 

 

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